アーリーリタイア徒然草

50歳でアーリーリタイアしました。アーリーリタイアについて心に思うことを書き連ねていきます。

アーリーリタイアと目的

アーリーリタイアに目的(=目指すもの)は必要なのでしょうか。


私の場合は、あえて言うならば、賃金労働に縛られない自由を得るため、となります。
ただ、退職後に複数の選択肢(再就職、自営業、アーリーリタイア)を検討した結果、アーリーリタイアすると結論を出しました。目的(=目指すもの)が先にあったのではないので、アーリーリタイアしたのが先で、理由が後になって整理されたと言ったほうが、適切です。
仕事への熱量の低下もアーリーリタイアの理由の一つですが、これは目的(=目指すもの)とは言えません。


目的(=目指すもの)があるアーリーリタイアのほうが、充実した時間を過ごせるという意見もありますが、その考えでは目的を達成すると(あるいは、目的をあきらめると)充実した時間が過ごせなくなり、新たな目的が必要になります。


明確な目的(=目指すもの)があるのであれば、無償ボランティアであっても、無償の研究・調査であっても、あるいは無償の地域活動であっても、それは無償だけれどもリタイア生活ではない、新しいステージの生活だと言えます。
それは、本人が望むのであれば、尊重されるべきことですし、家族の同意もあって、そいういう生活が出来るのであれば、それこそ本望でしょう。


ただ、こういった生活スタイルを高齢になっても続ける人は少数派であり、大部分の人が何れはリタイアする時期を迎えます。
目的(=目指すもの)を達成するためにリタイアするのではなく、勤務先に定年制度があり、定年を機会にリタイアする人も多くいます。


リタイア後に充実した時間を過ごすのであれば、日常的なことを大切にすることが穏やかで実りある生活となる、という考えもあります。例えば、家族との団らん、ペットと過ごす時間、お庭の草木のお手入れ、住居の整理整頓や修繕、美味しい料理をつくる・食べる、趣味やその道具のお手入れ など


私は、その考えの持ち主なので、目的(=目指すもの)がなくてもかまわない、と思います。
若い頃、特に10代、20代の頃は、違う価値観で、新しいこと、未体験のこと、非日常的なイベントを楽しんでいました。
例えば、行ったことがない土地への海外旅行・国内旅行、テニス・スキー・スキューバダイビングのような新しい趣味にチャレンジ、新規オープンした施設でショッピング、初めて訪れるレストランでの食事 など。
若い頃のほうが、好奇心が旺盛であり、新しい刺激を求めていたのに対して、50代の今は、日常的なこと、身近にあるものを大切にして、それらに感謝するスタイルが自分には合っていると思いますし、日常生活が心地良く感じます。
かなりの個人差はあるでしょうが、同世代の人で同じように感じる人もいるのではないか、と思います。その中で、私は、若い頃と現在の好みの生活スタイルが明確に異なっているほうだろう、と認識しています。


目的(=目指すもの)を持って、アーリーリタイアをする人を否定するつもりはありません。本人が日々、充実感を感じるものがあるのは、素晴らしいとも思います。
また、リタイア生活をテーマにしたセミナーや書籍で、充実したリタイア生活を目指そう、という主張に感化される人がいることも理解出来ます。


ただ、目的(=目指すもの)を持つことが目的のようになってしまっても、本末転倒でしょう。
少なくても、目的(=目指すもの)は自身で能動的に設定するものであり、自身や他人に強要されるものでは、ありません。


私は、私のスタイルで行きます。
私のアーリーリタイア生活は、目的(=目指すもの)は、あっても、なくても、構いません。



やることがなくて、時間の過ごし方がわからない、という人は、以前にやりたかったこと、死ぬまでにはやりたいことを書き出してみる、という方法があります。
次節以降でやりたいことリストについて、書いてみます。