アーリーリタイア徒然草

50歳でアーリーリタイアしました。アーリーリタイアについて心に思うことを書き連ねていきます。

FIREの目的必要論は不要

私は、ライフステージの過ごし方は、人それぞれ、自分で見つければいい、自分で考えればいい、と思っています。
そのため、FIREに目的はあっても、なくても、構わない、リタイア後の時間の過ごし方は自分で決めればいい、という考えです。


しかし、一方で、FIREには目的が必要、と主張するネット、雑誌の記事は、後を絶ちません。
自由な時間がたくさんあるのに、目的もなくFIREしても時間を持て余してしまう、ともっともらしい理由が述べられています。


この手の記事を書いているのは、多くは現役の人(雑誌記者・編集者、ファイナンシャルプランナーなど)であり、FIREの実体験を伴わない人が、想像でもっともらしく聞こえることを書いていたり、あるいは、個人的な考えを主張しているだけ、と受け取っています。


このFIRE目的必要論を主張する人たちは、人生の目的必要論を主張する人たちと似ているのかも、と思うようになりました。
個人的な人生観について、自分の考えだけが絶対正しい、それ以外は認めない、という排他的な宗教の教祖にでもなったつもりに見えるということです。
こう書くと、宗教ではない、自分は教祖ではないと反論するでしょうが、個人的な人生観について、自分の考えだけが絶対正しい、それ以外は認めない、というのは、宗教名が無いだけで、排他的な宗教です。



FIRE目的必要論を唱える人に聞いてみたいことが幾つかあります。
・あなたの人生の目的は何ですが?
・目的のない人生は無駄、無意味ですか?
・今の目的を持つ前のあなたの人生は無駄、無意味だったのですか?
・今の目的を達成した後のあなたの人生は無駄、無意味なのですか?
・今の目的に挫折したら、あなたの人生は全て無駄、無意味なるのですか?
・(目的が〇〇になる、〇〇を経験するの場合)それはただの人生の通過点でしょ。
・(目的が〇〇な毎日を過ごす、の場合)それはただの日常の過ごし方でしょ。


どなたか、FIRE目的必要論者に聞いてみてください。
私の予想では、排他的な宗教の教祖のような人は、最初はもっともらしい説明をするでしょうが、なぜそう考えるのか、それはおかしい、と何度か質問を繰り返すと、そのうち屁理屈のような説明になっていく、とみています。


ちなみに私は、こういう哲学的な議論は本当は好きではありません。
理由は、議論して、是非がはっきりするものではなく、意味のない不毛な議論だからです。


FIRE目的必要論が好きな人は、一定数いるようなので、この手の議論が好きな人を見つけて、内輪で議論をしていれば、自分の承認欲求を満たせて、いいんじゃないでしょうか?
ただ、FIRE目的必要論は、人に押し付けるものではありませんよ。
私のほうには、寄ってこないでくださいね。





人生の目的
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