人生はゲームの連続
エリック・ジョーゲンソン著、櫻井祐子訳『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』(サンマーク出版)の紹介記事を読みました。
以下はその抜粋ですが、ところどころ省略しています。
人生はゲームの連続だ。
成長したら学校のゲームをして、社会のゲームをする。
それからお金のゲームをして、地位のゲームをする。
ゲームにかかる時間はどんどん長くなっていく。
そしてあるとき、どんなゲームもただのゲームでしかないと気づくんだ。少なくとも私はそう思っている。
ゲームの本質を見抜いてしまうと、結果はもうどうでもよくなる。
そうなるとゲームに飽きてしまう。
私は、このゲームに飽きた段階にいると思う。
こういうゲームにはどんな最終目的も意味もあるように思えない。
私は人生をただ生きたいように生きている。
一瞬一瞬を好きに生きているんだ。
私はいつも「仕事」をしている。傍目には仕事をしているように見えるが、遊び感覚でやっている。
だからこそ、自分のやっていることにかけては誰にも負けない自信がある。
だって私は1日16時間遊んでいるだけだからだ。私と競争したい人は働く必要があるが、1日16時間週7日も働いていられないから、私には勝てっこない。
どんなゲームでも、ゲームに勝つのは「勝利から得られる満足感が減っているのにゲームから抜け出せない」ほどハマっている人たちだ。
読み物としては、面白い記事でした。
私は著者の主張に共感します。
お金のゲームというのは稼ぐこと、地位のゲームというのは出世することを指しています。
しかし、ゲームを楽しむように楽しめる仕事に出会うことは簡単ではありません。
ほとんどの人が生活費を稼ぐために働きます。
得意だ、好きだと思った分野で仕事をしても、組織の中で仕事をすると本人の判断よりも組織の決定を優先せざろう得ないことが往々にしてあります。
だから、サラリーマンには、この生き方は難しいでしょう。
私は、アーリーリタイアしたのは、サラリーマンではこの生き方が難しかったからかな、とあらためて認識しました。
ちなみに著者のエリック・ジョーゲンソンはプロダクト・ストラテジスト兼作家と自称していますが、起業家のようにプロジェクトを立ち上げて、事業として軌道に乗せることを生業にしているようです。
彼はゲームに飽きたと言いながら、多くの活動をしていますが、私はゲームに飽きたと思ってアーリーリタイアしました。
この辺りの違いが、富裕層の著名人と一般人の違いの一つでもあるのでしょう。