アーリーリタイア徒然草

50歳でアーリーリタイアしました。アーリーリタイアについて心に思うことを書き連ねていきます。

アーリーリタイアとカゴの中の回し車

もう一度、人生をやり直すことが出来たら?
「もし、仮に、もう一度、新卒社会人から人生をやり直すことが出来たら、また、アーリーリタイアするか?」
と聞かれたら、私の場合は、次のように答えます。
「新卒社会人の時点でアーリーリタイアする、しないは結論を出せないが、資産形成については若いときから考えるようにする。」
何歳まで働いたとしても、そうすることで、老後の資金面を確保出来る可能性が圧倒的に高くなります。


若い時は、そのときにやりたいこと、必要なことにお金を使うべきだ、という意見もあります。
私は、その意見を頭ごなしに否定するつもりは、ありません。
たた、老後は誰にでもやって来ますので、その備えに、無理のない範囲で資産形成を検討したほうが、よろしいんじゃないでしょうか。


さらに、質問に対する回答は次ぎのように続けます。
「ただし、50歳まで会社員だったら、区切りのいいところを見つけてリタイアすると思う。リタイアするタイミングは自分で決めたい。」


つまり、仮に人生やり直しが出来たとしても、私の場合は、結局はアーリーリタイアするだろう、ということです。
アーリーリタイアしたことに後悔はありませんし、会社員を50歳までやっていたことにも後悔はありません。
だから、50歳でアーリーリタイアしたことに全く後悔がありませんので、仮に人生をやり直しても同じような時期にアーリーリタイアするのが私には自然な成り行きです。



会社員時代の虚無感
ただ、20代、30代でアーリーリタイアを目指す人とは、アーリーリタイアを意識するタイミングは異なります。
20代、30代前半の頃の私は、アーリーリタイアを考えることは全くありませんでした。
その頃は、自分にとって未知の分野、あるいは、新しい取り組みにチャレンジしたい、という気持ちが旺盛だったこともあり、仕事を通して、知的好奇心を刺激されたり、達成感や充実感を感じることもあり、それが仕事への意欲にもつながっていたと思います。
30代後半、40代の頃になると、以前に同じような条件・環境で同じような仕事をしたことがある、ということが続くと、自分が同じ場所をぐるぐると周り続けているような気分になることがありました。
全く同じではないのですが、それでも似たようなものだと感じると、仕事が新鮮味の無いルーティンのように思えてきます。
新鮮味の無いルーティンには、達成感や充実感を感じることはなく、知的好奇心や仕事への意欲を刺激されるわけでもありません。
その新鮮味の無いルーティンを今後も何年も続けるのか、と想像すると面白味の無い年齢の重ね方だと思うようになります。
仮に早朝から深夜まで仕事をしていたとしても、充足感が満たされていない時間を過ごすだけです。
そのような毎日を過ごしていても、意味を感じられず、虚無感に覆われていきます。
私の場合、充足感が満たされていない仕事からくる虚無感から脱出する手段がアーリーリタイアだったのかもしれません。



カゴの中の回し車
ねずみやハムスターがカゴの中に回し車があると、自発的に回し車の中に入って、走り始めるそうです。
活動したいと言う欲求や遊びの一種と認識しているという仮説があり、回し車の中で走ること自体が目的で、報酬(例、餌)を得るためではない、ということです。
もし、仮にねずみやハムスターが、回し車の中で走り続けても、同じ場所で走り続けているだけであり、そのことには意味がない、と考えれば、回し車は止めてしまうでしょう。



虚無感に覆われてた30代後半、40代の頃の私は、会社で仕事をしている自分が、回し車の中で走り続けているねずみやハムスターのように感じました。
ただ、回し車の中のねずみやハムスターとの違いは、会社員だった私は、仕事そのものに意味を見出している訳ではありません。
報酬を目的としないねずみやハムスターとは違い、私は、報酬(給与所得)が目的でした。


私は、リタイア資金が確保出来て、報酬(給与所得)が動機付けにならないのであれば、もう、会社員として仕事をする理由がなくなります。


仮に人生をやり直したとしても、私は50歳前後でアーリーリタイアをするような人生になると思います。
私自身の価値観、感性がそうさせる気がします。
もし、価値観、感性も変わり、出世欲、社会的地位へのこだわり、地位財(特に物的材)への欲求が強い価値観、感性の持ち主になったのであれば、たとえリタイア資金が確保出来ていたとしても、自発的なアーリーリタイアはないだろう、と思います。