アーリーリタイア徒然草

50歳でアーリーリタイアしました。アーリーリタイアについて心に思うことを書き連ねていきます。

リタイア生活を楽しむのに必要な3つのもの

リタイア生活を楽しむのに必要なものが3つあります。
実際にリタイア生活を過ごすに従って、その3つのものが如何に大切か、と強く思うようになってきます。


1つ目は、資金です。
自給自足で物々交換の生活でない限り、生活していく上で資金は必要になります。
テレビでほぼ自給自足している人の生活を見たことがありますが、皆なんらかの方法で現金収入を得ており、それで光熱費、健康保険料と医療費、通信費、日用品の購入にあてています。
貨幣経済とは縁がない未開の地の原住民でもない限り、お金と縁を切って暮らすことは不可能です。
ただ、必要な金額が人によって大きく異なります。
手持ちのお金が少なければ工夫・節約をして生活費を圧縮している人もいれば、手持ちに十分なお金があっても比較的質素でお金を使わない生活をしている人もいます。
私は、必要以上にお金を持っていても意味がない、と思う一方で、経済的な余力があるほうが精神的にも余裕が生まれやすいと思っていますので、カツカツな節約をしなくても生活出来るだけのお金はあったほうがいい、と考えています。
そのリタイア生活に必要な金額は幾らかは、ライフスタイル、家族構成、持ち家か賃貸か、さらに節約を無理せずに継続出来るか、で大きく異なりますので、自分で家計や将来の支出を把握して、計算する以外に方法はありません。


2つ目は、健康です。
高齢になれば身体の不具合も多くなり、通院する人も増えますが、やはり、日常生活に大きな支障がない程度の健康がリタイア生活を楽しむためには必要になります。
寝たきりになれば、旅行に行けなくなるどころか、日常生活にも支障が生じます。
入退院を繰り返すような状態になれば、精神的にも不安を覚えます。
健康診断の結果が全てA判定でなくても、何かすぐに問題が発生する訳ではありませんが日常生活に大きな支障がない程度の健康は、誰にとっても非常に大切なものです。
また、そう実感する年齢になってきた、ということでもあります。


3つ目が、しっくりとくる言葉が見つからないのですが、「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」です。
「生きがい」が大切、だと言う人もいますが、多くの人にとって、「生きがい」という言葉が大袈裟すぎて、あるいは、重すぎて、穏やかなリタイア生活には、似合いません。
「生きがい」を辞書で調べると以下のような説明になっていました。

人生の意味や価値など,人の生を鼓舞し,その人の生を根拠づけるものを広く指す。 〈生きていく上でのはりあい〉といった消極的な生きがいから,〈人生いかに生くべきか〉といった根源的な問いへの〈解〉としてのより積極的な生きがいに至るまで,広がりがある。


ただ、リタイア生活で必要なものは、人生を懸けるようなものではなく、普段の暮らしの中で「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」です。
例えば、家族との時間を大切にしたいのであれば、日常的な食事、家族旅行、孫の成長などが、「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」と言えるでしょう。
自分の時間を大切にしたいのであれば、インドア、アウトドアに限らず趣味、「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」と言えるでしょう。
あるいは、炊事や掃除ですら、その中に楽しみを見つければ、「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」になります。
ペットと暮らす人は、ペットと過ごす時間が「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」になります。



リタイアすると、退屈だとか、ボケるとか、やることがないとか、張り合いがないとか、という人がいますが、それは「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」を見つけることが下手な人のセリフです。
ただ、自身が「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」を見つけることが下手であることに気付いていないので、環境のせいにしているだけです。
そういう人は何歳になってもリタイア生活は向いていないでしょうし、外部の環境ではなく、自身の内部の問題だと指摘されても理解出来ない人もいるでしょう。


1つ目の資金、2つ目の健康は、レベルの差こそあれ、誰もが納得するでしょう。
3つ目の「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」は、意見が分かれるものです。
しかし、私は、3つ目の「生活の中で幸せや喜びをもたらすもの」も非常に大切だと思っています。
お金だけ、健康だけでは味気ない日々に感じますので、それ以外の何かがリタイア生活にも必要なんだと思います。