多世代型シェアハウスって、何?
先日、多世代型シェアハウスを取り扱った記事を見ました。
0歳~50代後半まで26世帯37人が暮らす。
驚くべきは、共有部の掃除当番など、ルールがほとんどないこと。
「やりたい人がやる」という方針の根底には「贈り合いで暮らす」という考え方がある。
広い庭には畑も。以前暮らしていた住人が遊びにくることも珍しくない。
シェアハウスは、若い独身の人が集まって、生活費、特に家賃をシェアすることで一人当たりの負担額を軽減するものだと思っていましたが、子供のいる世帯でもシェアハウスに住んでいる人もいるんですね。
37人は、結構な大所帯です。
しかし、生活習慣や衛生観念が違う人が集団で生活すると、誰かが我慢したり、譲ったりして成り立つものでしょう。
例えば、掃除当番のルールがなく、やりたい人がやるとなると、同じ人ばかりが掃除することになることもあり得ます。
(清潔な室内で暮らしたいという人と室内が汚れていても気にならない人が同居すれば、掃除をするのは清潔な室内で暮らしたいという人になる。)
それを受け入れられるか、どうか、ということでしょう。
自分には、多数の人と生活空間を共にするというのは向いていないな、と思っています。
仕事や学校で集団で活動をしていても、プライベートの時間は自分の時間を持ちたいものですし、自分のペースで暮らしたいものです。
記事は、大家さんの話につながります。
「掃除とか何かをしたい人がやると、そのギフトに対して何かが返ってくる。だからみんな動く。人って本来は贈ることが大好きなんです」と、大家のTさん。
ハウスの大家を任されたとき、まず考えたのは「人って本来、どういう生き物なんだろう」ということだった。
「かつてヒトは25~80人の群れを作って、争わず、奪い合わず、あらゆるものを贈り合って平和に暮らしていた。
安心できる場所だからルールで縛る必要もなかった。でも今は小さな頃から社会を構成するためのルールを教え込まれるでしょ。
みんなで決めたことを守りましょうってね。それを暮らしの中に持ち込むと、それぞれの個性や自由が失われてしまう。そうすると、少しずつ不安が募ってくるんです」
なんか、言っていることが怪しい宗教家っぽくなってきました。
それに主張に同意出来ません。
古代、ヒトが集団で暮らしていたのは、狩猟にしても、耕作にしても生きるために集団のほうが食料を確保しやすかったからであり、当然、ルールもあっただろう、と思います。
今でも田舎では集落の習慣とか、ならわし・しきたりがあります。
さらに労働力の搾取としての奴隷制度は、ヒトの歴史と同じくらい古いとされていますので、皆が奪い合わずに暮らしていたとは言えません。
やっぱり、学生寮ほど厳しいルールは必要ないでしょうが、シェアハウスでも一定のルールがないと、生活習慣・衛生観念の違う人たちが集まって暮らすのは難しいでしょう。
ルールがあるシェアハウスとルールがないシェアハウス、いずれにせよ、私には向いていません。